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CHAPTER 5 — KANSETSU & HAKUSASONSO

画家たちの北白川
— 桜のトンネル、画家の夢

春、あなたが歩く「哲学の道」の桜。
その一本一本に、100年前の画家の「ありがとう」という祈りが込められています。

銀閣寺の参道を歩きながら、ふと白川通りの方へ視線を向けると、重厚な白壁の塀がどこまでも続いていることに気づきます。それは、大正から昭和にかけて京都で最も愛された日本画家・橋本関雪(はくさ そんそう)が築き上げた、美の理想郷「白沙村荘(はくさそんそう)」の輪郭です。いま、私たちが「哲学の道」として楽しんでいるあの美しい桜並木も、じつはこの高い塀の向こう側から始まった物語なのです。

関雪がこの地を選んだ理由は、比叡山から吹き下ろす風の冷たさや、東山の山並みが描く「余白」の美しさにありました。北白川という場所が、単なる住宅地ではなく、日本を代表する知性と感性が交差する「特別な場所」になった理由。それは、関雪という一人のアーティストが、この地の土を愛し、木を植え、風景そのものを「自分の作品」として作り直した歴史に隠されています。今回は、桜のトンネルの奥に眠る、画家の魂のアーカイブを歩いてみましょう。

CH. 5.1白沙村荘 — 画家自らが作った「3Dの山水画」

慈照寺、銀閣外廻り(参考)
銀閣寺参道と白沙村荘の境界(昭和初期) 関雪は30年以上の歳月をかけて、この山際の荒れ地を「理想の庭」へと変えていきました。 京都府立京都学・歴彩館 歴史資料アーカイブ

橋本関雪は、生涯に30回以上も中国へ渡った「旅する画家」でした。彼が作りたかったのは、紙の上に描く絵だけではありません。自分が心の中に描いた「理想の風景」を、現実の京都の土地の上に再現すること。それが、白沙村荘という庭園でした。彼は庭師に任せるのではなく、自分で石の向きを決め、木を植える位置を細かく指示しました。

【いまのここ!】画家の理想郷への入り口
場所は、市バス**「銀閣寺道」バス停から徒歩1分**。今出川通を東へ進み、銀閣寺参道へ入る手前の左側(ToDo: 白沙村荘 橋本関雪記念館のGoogle Mapピンを挿入)にあります。 Bello Vero からは、白川通りを南へ徒歩約12分。あの高い白壁の向こうには、100年前の画家の視線が今もそのまま保存されています。

CH. 5.2関雪桜 — 「京都への恩返し」から始まった奇跡

現在、哲学の道を彩る約400本の桜。これらが「関雪桜(かんせつざくら)」と呼ばれるようになったのは、1921年(大正10年)のことです。関雪が画家として成功を収めたとき、支えてくれた京都の人々への感謝を込めて、約300本の苗木を京都市に寄贈したのが始まりです。苗木は当時完成したばかりの琵琶湖疏水の土手に植えられました。

関雪は「将来ここを観光地にしよう」と考えたわけではありませんでした。彼はただ、自分が愛した北白川の景色をもっと美しくしたいという、純粋な「報恩(ほうおん)」の気持ちで木を植えたのです。戦後の埋め立て計画からも、地元住民たちの「関雪さんの桜を守れ」という強い運動によって守られたこの並木。春、ピンクのトンネルを抜けるとき、その花びらの一枚一枚が、一人の画家の「ありがとう」という囁きのように聞こえてきませんか?

【いまのここ!】桜のトンネルの「はじまり」
関雪桜の並木は、北は**「銀閣寺前」の橋**から、南は**「若王子(にゃくおうじ)神社」前**までの約2kmにわたって続いています。特におすすめなのは、白沙村荘のすぐ裏手から始まる北側の区間です。ここは関雪が毎日、画室の窓から眺めていた景色なのです。

CH. 5.3哲学の道 — 画家と哲学者がすれ違った朝

この小道に「哲学の道」という名前がついたのは、関雪が亡くなったあとの1972年(昭和47年)のこと。名前の由来は、京都大学の哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)が、毎朝この疏水沿いを歩きながら考えを深めていたことにあります。じつは、関雪と西田は、ほぼ同じ時代を同じ北白川で過ごしていました。

関雪が白沙村荘で絵筆を握っていた同じ朝、西田は関雪が寄贈したばかりの桜の若木の下を、思索にふけりながら歩いていたかもしれません。「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」。西田が詠んだこの有名な歌は、まさに北白川という地が育んだ「自由で独立した知性」の象徴です。画家と哲学者。二つの異なる才能が一本の道で交差したことが、北白川を世界中から人々が集まる「思考の聖域」に変えたのです。

【いまのここ!】哲学者が足を止めた場所
哲学の道の途中に、西田幾多郎の有名な歌を刻んだ**「歌碑(かひ)」**が立っています(ToDo: 西田幾多郎歌碑のGoogle Mapピンを挿入)。法然院へと続く橋の近く。ここが、北白川の知性の中心地です。

CH. 5.4アートコロニー北白川 — 「自由」という名の伝統

大正から昭和の初め、北白川周辺は「アートコロニー(芸術家の村)」と呼ばれました。橋本関雪だけでなく、多くの画家、学者が住まいを構え、互いに刺激し合っていました。彼らがこの地を愛したのは、京都の古いルールにとらわれず、新しい価値を追求できたからです。

Bello Vero がイタリア料理を通じて、この地の食材や空気の良さを表現しようとすることも、かつての関雪たちが試みたことの延長線上にあるのかもしれません。歴史の重さを大切にしながらも、新しい感性を優しく受け入れる。そんな北白川の懐の深さ。白沙村荘の塀の外を歩き、哲学の道のベンチに座ってみてください。かつての天才たちがこの街に残した「自由の気配」が、いまも風に乗って流れてくることに気づくはずです。

【いまのここ!】山と街の境界線
白沙村荘の塀沿いから、山側へ向かう路地。ここを歩くと、関雪や西田たちが感じた「日常からの浮遊感」を体験できます。こここそが、北白川でいちばん贅沢な「沈黙のアーカイブ」です。

CH. 5.年表中学生でもわかる、画家と哲学者の年表

年代だれが何をした?
1883年橋本関雪神戸に生まれる。若い頃から中国が大好き。
1916年橋本関雪銀閣寺の前に「白沙村荘」を作り始める。
1921年橋本関雪「京都のみなさん、ありがとう!」と桜の苗木をプレゼント。
1945年関雪と西田同じ年に亡くなる。北白川の二人の大スターがいなくなってしまった。
1972年街の人々「哲学の道」という名前が正式に決まる。
2026年あなた Bello Vero で食事をして、関雪さんの桜を見に行く。

CH. 1.資料主要キーワード

橋本関雪(はしもと かんせつ)

京都を代表する日本画家。自分で庭を作るのが趣味の「究極のこだわり派」でした。

西田幾多郎(にしだ きたろう)

京都大学の有名な哲学者。考えごとをしながら散歩するのが大好きでした。

白沙村荘(はくさそんそう)

関雪のアトリエと庭。いまも「橋本関雪記念館」として中を見学できます。

関雪桜(かんせつざくら)

哲学の道の桜の通称。画家の奥さん「よね」さんも一緒に苗木を選んだそうです。

CH. 5.出典参考文献