CITY ARCHIVE
Bello Vero →
JA ▾
CHAPTER 4 — PHOTOGRAPHERS OF OLD KYOTO

黒川翠山が撮った銀閣寺
— 100年前の「光」を追いかけて

100年前、ひとりの写真家が重い機材を担いでこの場所に立ちました。
ガラスの板に閉じ込められた「止まった時間」を、いまの地図で呼び覚ましてみましょう。

いま、私たちはスマホで簡単に写真を撮ることができますが、100年前の写真は命がけの作業でした。重い木製の三脚、割れやすい「ガラスの板(ガラス乾板)」、そして現像のための強い薬品の匂い。京都を拠点に活動した写真家・黒川翠山(くろかわ すいざん)は、そんな不便な道具を抱えて、何度も銀閣寺の門をくぐりました。

彼が狙ったのは、観光客が誰もいない早朝の静けさや、雨上がりにしっとりと濡れた観音殿の黒漆。翠山にとって写真は、単なる記録ではなく、自分が愛した京都の「空気感」を永遠に保存するためのタイムカプセルだったのです。今回は、歴史の目撃者たちがシャッターを切った「その場所」を特定しながら、モノクロームの光の中に眠る銀閣寺を旅してみましょう。 Bello Vero で過ごすゆったりとした時間の源流が、この100年前の光の中に見つかるかもしれません。

CH. 4.1黒川翠山 — ガラスの上に「気配」を写した男

黒川翠山撮影写真資料、銀閣寺
錦鏡池と観音殿(大正時代) 池の水面に銀閣が溶け込んでいます。翠山は、建物を撮るのではなく、建物が放つ「寂しさ」や「気高さ」を撮ろうとしました。 京都府立京都学・歴彩館 歴史資料アーカイブ

黒川翠山の写真は、どこか絵画のような雰囲気を持っています。彼は「ピクトリアリズム(芸術写真)」という考え方を大切にし、あえてピントを少しぼかしたり、光の当たり方を工夫したりして、風景に「情緒」を与えました。彼が銀閣寺で最も大切にしたのは、池の面に映る逆さ銀閣のゆらぎでした。

【いまのここ!】翠山が三脚を立てた場所
翠山が最も多くカメラを向けたのは、**錦鏡池のほとり、山門から入ってすぐのエリア**(ToDo: 翠山の推定撮影ポイントピンを挿入)です。彼はここで太陽が雲に隠れ、境内に柔らかい光が回るのを何時間も待ちました。 100年前の彼と同じ場所に立って、同じ風を感じてみてください。

CH. 4.2近藤豊 — 6万回繰り返された、文化財への「愛」

近藤豊撮影写真資料、慈照寺、銀閣外廻り
銀閣のディテール(昭和初期) 建築の専門家だった近藤豊は、建物の「骨組み」を正確に写し取ることに情熱を注ぎました。 京都府立京都学・歴彩館 歴史資料アーカイブ
近藤豊撮影写真資料、慈照寺、銀閣外廻り
屋根の反り 一本一本の柱、釘の跡までを逃さず記録しました。 京都府立京都学・歴彩館 歴史資料アーカイブ

翠山が情緒を追ったのに対し、近藤豊(こんどう ゆたか)は「真実」を追いました。彼は写真家であると同時に、素晴らしい建築の学者でもありました。生涯で6万枚もの古建築写真を撮り続けた彼の背中には、「この美しい建物が、明日火事で失われてしまうかもしれない」という強い危機感がありました。

【いまのここ!】建築の美しさが際立つ座標
近藤豊が好んで撮ったのが、**観音殿を斜め横から見上げたアングル**(ToDo: 建築美がわかるフォトスポットピンを挿入)です。下層の書院造と上層の禅宗様の違いが最もはっきりとわかる場所。彼の記録があったからこそ、現代の私たちは銀閣寺を正しく修理し、未来へ繋ぐことができるのです。

CH. 4.3佐藤親子 — 戦後、京都を「再発見」した家族

戦後、私たちが「京都ってきれいだな」と思うようになったのは、老舗の美術出版社「便利堂」のカメラマンたちの功績が大きいです。なかでも佐藤辰三(さとう たつぞう)・旭(あさひ)親子は、雑誌やポスターのために、銀閣寺を最も美しく、最も明るい光の中で撮り直しました。

彼らの写真は、それまでの学術的な記録を越えて、一般の人々が「あそこへ行ってみたい!」と思うような開放感に溢れていました。現代の私たちが銀閣寺に対して抱いている「永遠の美の象徴」というイメージは、佐藤親子のレンズが作り上げたものと言っても過言ではありません。歴彩館のアーカイブで、翠山・近藤・佐藤の三代の写真を並べて見ると、京都という街がいかに大切に、丁寧に記録されてきたかがわかります。

CH. 4.4「光の救出作戦」を体験してみよう

黒川翠山が見つめた大正時代の光は、いまデジタルのデータとなって私たちのスマホに届いています。かつて割れやすく、劣化に弱かったガラスの板は、専門家たちの手によって丁寧にスキャンされ、何百年後も色褪せないアーカイブになりました。これは、人類が試みてきた、最も壮大な「光の救出作戦」なのです。

Bello Vero で美味しいパスタを楽しんだあと、スマホで歴彩館のアーカイブを検索してみてください。100年前に誰かが止めた時間が、画面の中で静かに息を吹き返します。私たちが明日歩く銀閣寺の参道も、もしかしたら100年後には誰かのアーカイブとして、全く違う意味を持って見られているのかもしれません。写真を撮り、記録し、保存する。その営みのすべてが、私たちがこの街で生きていることの、唯一の証明なのです。

【いまのここ!】アーカイブの「総本山」
銀閣寺から少し南、下鴨にある**京都府立京都学・歴彩館**(ToDo: 歴彩館のGoogle Mapピンを挿入)。ここには本物のガラス乾板が眠っています。デジタルで満足できない方は、ぜひこの座標へ足を運んでみてください。

CH. 4.年表京都・写真アーカイブ年表

年代だれが何をした?
1882年黒川翠山京都に生まれる。呉服屋の息子だった。
1906年黒川翠山写真で賞をもらい、京都を代表する写真家になる。
1937年佐藤辰三法隆寺の壁画を原寸大で撮影。世界が驚く。
1963年京都府資料館を作り、古い写真を集め始める。
2017年歴彩館今の建物がオープン。デジタルで誰でも写真が見られるように!

CH. 4.資料主要な「記録者」

黒川翠山(くろかわ すいざん)

「情緒」の天才。朝霧の銀閣寺を撮らせたら右に出るものはいませんでした。

近藤豊(こんどう ゆたか)

「正確」の天才。建物の傷ひとつまで逃さず撮ることで、文化財を救いました。

佐藤旭(さとう あさひ)

「美」の天才。戦後の明るい京都のイメージを作った、便利堂のカメラマン。

CH. 4.出典参考文献