京都府立京都学・歴彩館の「京の記憶アーカイブ」には、銀閣寺を写した古い写真がいくつも残っています。スマホで一枚開いておいて、いまの境内で同じ景色を探してみる——観光のついでにできる、ちょっとした遊びです。この記事では、Bello Vero の CITY ARCHIVE でも使っている2枚の写真を手がかりに、見比べるポイントを紹介します。

1. 錦鏡池越しの観音殿を探す

上の写真を撮ったのは、京都西陣の呉服屋に生まれた写真家・黒川翠山(1882〜1944)。アーカイブの記録では、ドイツのAGFA社製ガラス乾板に写された「銀閣(観音殿)」です。

銀閣の正式名は観音殿で、国宝。木造2階建てで、錦鏡池(きんきょうち)のほとりに建っています。いまの拝観ルートでも、池を回り込む小径の途中で、翠山の写真とほぼ同じ視点に立つことができます。

見比べるときは、屋根の頂にのる鳳凰、池に張り出した岩、水面への映り込みに注目してみてください。手前の木々や植え込みも含めて、どこが同じで、どこが違うか。それを確かめるだけで、池のほとりに立つ時間が少し長くなります。

近藤豊撮影、1965年の銀閣上層南面の軒下。垂木と曲線の窓が写るモノクロ写真
1965銀閣上層南面の軒下 近藤豊撮影、昭和40年(1965年)1月16日。 出典 京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」

2. 上層の軒下を見上げる

2枚目は、昭和40年(1965年)1月16日に近藤豊が撮った、銀閣の上層南面の軒下です。全景ではなく、軒を支える木組みと壁面をぐっと近くから写しています。

銀閣の初層は「心空殿」と呼ばれる住宅風の造り、上層は「潮音閣」と呼ばれ、禅宗様の仏堂風に造られています。上層には上端が曲線になった花頭窓があり、写真の右端にもその形が見えます。

「銀閣」という名前から銀色の建物を想像しがちですが、創建当時から銀箔は貼られていなかったことが、2007年の科学調査でも裏付けられています。写真の木肌を見ていると、この建物の魅力が銀ではなく木と影にあることがよくわかります。現地では池の側から上層を見上げ、軒の深さと窓の形を確かめてみてください。

写真はスマホで開いて持っていくのがいちばん手軽です。「京の記憶アーカイブ」で「銀閣寺」と検索すると、ほかの写真家の銀閣寺も出てきます。

3. 銀閣寺道は「新しい道」として歩く

今回の2枚は、どちらも境内の中の写真です。参道の古写真は手元にありませんが、銀閣寺道を歩くときに知っておくと面白いことがあります。いまの銀閣寺道交差点を南北に通る白川通は、明治末から昭和初期にかけて整備された比較的新しい道です。明治23年(1890年)に琵琶湖疏水分線が完成し、銀閣寺橋のたもとから参道がのびる、いまの風景の原型ができました。疏水沿いの小径が「哲学の道」と正式に名付けられたのは1972年(昭和47年)です。

銀閣寺そのものは、足利義政が1482年に造営を始めたお寺。数百年の時間をもつ境内と、130年ほどで姿を変えてきた参道。その重なりを意識して歩くと、同じ道でも見え方が変わってきます。

写真家・黒川翠山と歴彩館アーカイブについては CITY ARCHIVE 第4章「黒川翠山が撮った銀閣寺」、銀閣寺道交差点や白川通の成り立ちについては 第1章「江戸期の京都を歩く」 で詳しく書いています。

銀閣寺のあとに、北白川で一休み

Bello Vero は銀閣寺から白川通を北へ徒歩約15分。13時から22時まで通し営業なので、午後の拝観のあとの遅めのランチにも、夕方以降の食事にも使えます。カウンター席もあるので、おひとりでも気軽にどうぞ。

📍 京都市左京区北白川久保田町64番17
🕐 13:00〜22:00(L.O. 21:30)/不定休
市バス「北白川」停留所から徒歩2分 / 銀閣寺から徒歩約15分
📅 ご予約は Web予約 / TableCheck または お電話 075-600-0740